閉鎖的

休日の過ごし方

狭い狭いところでの
ルールブックは誰が作る?


誰がつくるのだろうか。
きっと私が作るのだろう。


でもどこでもそうだ。


それからゆがめられたルールブックは、小さいところでは当たり前のようにまかり通るのだ。
当たり前というよりか、そういうものとして受け入れられるのだ。
はじめは少しひっかかったり、疑問に思ったりもするけれども。
それらはいつの間にか麻痺していたり、気づかない振りを自らしていたりするのだ。
認識してしまうのは嫌なので。


だけどそーやってもねー。
痛いことはいつまでたってもなれるわけがない。


ゆがめられたルールブックは狭くなくても同じこと。
本当は広いところでも同じこと。