考えること

youchi2005-01-06

高校1年生の現代社会の時間に初めて哲学というものを習った。資料集に出てきたソクラテス無知の知についてだけだったけど。先生の哲学の話が面白くって何度もその資料集を読んだのを覚えている。もともと私は根暗な部分もあるので色んな事について考えてしまうし、当時から日記を書き始めたというのもあってか、何故自分がそう思うのか、感じるのか、なんでそんな行動をしたのかを一晩中考え悩んでいたような気がする。そして、考えれば考えたなりにわからなかったことにはちゃんと答えが出てきていたような気がする。自分が安心するような答えばっかじゃなくって、目をそらしたくなるような自分の本との汚くてズルイ気持ちとか、偏見で塗り固められた考え方とかが答えだった時の方が多かったけど。でも考えることで深層心理に隠れていたとされる気持ちなどを探すのが好きになった。パスカルの「人間は考える葦だ。」という言葉に心から賛同していた。(葦ってのが植物のことを示しているのは最近知ったけど。)でも何かにぶつかった時に考え、本当の事と思われるような答えを出すことは大切なことではないのかな、という考えは今も変わっていない。色々な分からない事が今も多すぎるほどあるけど、いつも真実を見て、自分が考える正しい考え方や見方をしていたいと思う。でも、正しいことって必ずしも正義ではないだろうし、安心するためには邪魔なことが正しかったりするだろうし。・・・・要するに難しいのです。やっぱり何が真実かわかんないし、人によって違うからな〜。
で、なんでこんなことを考えてしまったかというと、最近何だか落ち込んでいるようなのです。多分休みやからやと思うけど。私は長い休みになるとひきこもりがちになって、自分がしたいこととか、やらなきゃいけないことがなかなか出来なくなってしまう人間のようです。&最近父母と上手くいっていません。そりゃ親子関係もいい時もあれば悪い時もある。一緒に住んでるしやっぱ親子だから諍いも出てくるのは当たり前なんでしょうけど。でもな〜小さい時は父母の言っていること、やっていること全てが正しいと思ってたけどやっぱり人間ですから色んな矛盾を抱えながら生活してるわけですよ。まぁそれだけじゃないと思うんですが。きっと私の話を聞いてくれる人は何度も聞いたことあると思うんですがもう二人とも確実にターニングポイントを迎えてしまったな。って感じ。私が見えている範囲ではもう人生のターニングポイントを迎え学ばない人間になってしまっている。悲しいかな。きっと父母も私を見てなんて情けない子だと思っているだろうけど。でもそれは今にはじまったことではないしな・・・。私は父母にあまり褒めてもらった覚えがない。私は褒められて育ったんじゃなくってかなりけなされながら育ってると思う。だからひねくれてんのかな、とこの歳になって両親のせいにはしたくないからしないけど。そういえば昔は母親がとてもとても怖くって「陽子」って名前呼ばれるたびにすんごいビクビクしていた時があった。自分の母親が恐ろしかったなんて、何てことでしょうか。今でも何かあるたびに(例えばお皿洗いを忘れていたとか洗濯物を取り忘れていたりすると)お前はなんもせえへん。なんもできひん。お前は駄目だ。あんたはあかんわ。と言われる。もう聞き飽きた言葉だけどでもいつ言われても腹が立ちますね。言い返すとわめき散らされるんで最近ではもう何も言わないようにしていますが。でもそんなことがとってもストレスになりますね。
ちなみに今日は久しぶりに買い物をしました。といっても卒論に必要なファイルを買いに、地元の人ならみんな知っているであろうハセガワアートに行ってファイルと修正テープとシャーシンとクリアファイルを買って、下のスーパーでまいたけとシメジを買ってキノコシチューを作りました。帰りに前働いていた薬局によって卒論のプリントにパンチで穴を開けてから帰りました。久しぶりにパートのおばちゃんに会えてつくづくいい環境で働かしてもらっててんなと改めて思いました。
今日は散々だったのか、そんな事はなかったのか、よくわかりませんがレポートも一個終わったし、明日は友達に会えるし・・・。明後日は新年会だし。ま、いっか。
本日も長くなりました。最後まで読んでくれた人どうもありがとうございます。
今日の画像は、よく見てください、よく見てください。わかりますか?犬のベロがむっちゃ早く動いているのが・・・。私の札幌一番塩ラーメンを横取りしようとしています。食いしん坊め。