頭おかしい

ある映画の中で、「食事と排泄は私の中では同じなので、みんなで一緒に食事なんて出来ないわ」というような発話がある。
一般で言われている精神病院に入院している精神異常者のたわごとに過ぎない。
でもまー私たちは全員頭がおかしい。
でないとパックに入っている、もともと豚や牛の形をしたものや、プラスチックで出来た何かに乗ってやってくる、もともと魚の形をしていたようなものを食べれるわけがない。
献血や薬も飲まないだろうし、ベジタリアンになることもない。
毎日働くこともしなくなるだろうし、子供を殺すこともない。
ある薄い物質に頼ることもないのだ。

きっと私のことを頭のおかしい人間だと思われる方もいらっしゃると思うだろうが、そういうあなたも頭がおかしい。


ちなみに、もともと魚の形をしているものは生命を操られ生まれてきたクローンのようなものだと思うし。
なにで出来ているかわからないシャンプーやリンスは、ウサギの目を使って実験されているし。ちなみにウサギはすぐに失明し、そこからガンが広がったりして死んで行くのだ。
新しい新製品が出るたびに、何匹ものウサギが犠牲になっている。
世界が嫉妬する、などと言っているが、その裏に隠されたものはなかなか知りにくいシステムになっている。
それらの事実を隠蔽しつつ、なお知った上で平気で使える私はもっと頭がおかしく、悲惨な人間だけれど。
ですので、私たちはウサギのためにいつ死んでもおかしくない生き物だとも思う。


弱肉強食というけれど、一番上に立っているものは確実に人間であり、地球上の生物の中で、一番醜い生き物なのかもしれない。
寄生獣の「この寄生獣どもめが!」だったっけ・・って台詞を思い出す。
大量消費社会の中で過ごすには、頭がおかしくなるしか、生きるすべがないのが現状なのかもしれない。
食卓に並ぶ牛たちや、鳥たちや、豚さん、魚。
それらの生命を奪ったのに対し、私たちがしていることは。
食べるために育てられただけなんでしょうか。
地球上の食料の約3割が消える日本という国は、人間の頭を麻痺させて、考えることをやめさせて、常に軽いストレス状態を生み出すようにし、紙のような紙幣を流出させ、利益が上がるように仕向け。
物が豊かになったところで。
いのししの住処を奪ったり、熊の食料生産の場所を奪ったり、私たちの生活をこんなくだらないものにしてしまうような&支えているそれらは、そこまでして必要なのかしら。
環境問題へは、豊かになってからしか目が行き届かないというけれど。
前も同じことをいいましたが、得るものとなくすもの。
得ないとなくすことは出来ないのだから。
人間が動物だった頃、人間は人間を殺すことはルールの1つだったらしい。
蓄えから約束が生まれたと以前、面白すぎる友達に聞いた。
その頃から考えれば、ウサギの犠牲はまだいい方なのかしら・・・。


思考するまま書きましたので整理されてません。
ながながと読んでくれた人ありがとう。